小学生の頃からニキビに悩み、美肌に憧れてたくさんのお金をかけてきました。
雑誌で自分の肌悩みに合ったアイテムを探してはコスメカウンターへ行き、エステにも通い、美顔器も購入しました。
しかし、毛穴、赤み、くすみといった悩みは一向に改善せず、「自分の肌に合っていないからだ」と思い、次々に別の商品を試し続ける日々。
それから20年、冷静に計算すると費用は約2,000万円にも上っていました。
世間で「お悩み」とされているものに自分の悩みを重ね、「使えば、通えば美肌になれる」と信じていました。
その考えが根本から覆されたのは、私が鍼灸学生になったときでした。
22歳の頃から「安定」を求めて18年間働いてきました。
そして32歳のとき、嵐に出会って「人生にはこんなに楽しいことがあるんだ!」と感じたのです。
それから9年経ち、「一度くらい人生で冒険してもいいんじゃないか?」と思うようになりました。
私は本当に何がしたいんだろう。
それまで深く考えたことがありませんでした。
プライベートは嵐、美容、洋服、旅行といった趣味を楽しむために働くだけでした。
病院事務をしていた私は
薬に頼りきる患者さまを見て、日々の生活習慣・食生活の改善に興味を持ち始めました。
同時に頭痛薬を手放せない自分がイヤで鍼灸治療を受け始めました。
東洋医学への関心が高まり、「鍼灸師」という職業に興味を持つようになりました。
そんなとき、通っていた美容鍼灸師の先生から「美容鍼の勉強会があるけど、参加してみる?」と誘われました。
そのときの私は、年齢を言い訳にしたり、今の環境を手放すことへの不安からできない理由を探していました。
でも、「これは行け!ってことなのかも!?」と、思い切って勉強会に参加しました。
そこには、お客様や患者様のために学んでいる多くの鍼灸師の先生方がいました。
41歳から始めることに不安もありましたが、さまざまな年齢層の方が学んでいる姿を見て、「私も鍼灸師になりたい」という気持ちが強くなりました。
「鍼灸師はやっと見つけた私のやりたい仕事!」
と思って入学したけれど、すぐにその気持ちは折れてしまいました。
入学した4月の終わり頃に「乳がんかもしれない」と言われ、不安でいっぱいのゴールデンウィークを過ごし、5月の終わりには乳がんと診断されました。
がんだとわかったとき、今までの私のすべての選択が間違っていた。
今までの自分を否定してしまったりもし、心がくじけそうになりました。
でも、その時、私を支えてくれたのが担当の先生との出会いでした。先生は、私が不安に思うことについて「大丈夫、大丈夫」と、まだ起きていない心配ごとにも笑って答えてくれる人でした。
あるとき、治療のために女性ホルモンを止めなければならないと聞き、豆乳を飲むことすら不安になってしまいました。
そんな時に先生に相談したら、「どれくらいの量を飲んだら影響が出ると思う?」と優しく言われ、その一言でふっと気持ちが軽くなりました。この経験を通して、私が勉強している美容鍼も同じだと気づきました。
美容鍼も、何ができて何ができないかをしっかり理解し、相手の不安を取り除いてあげることが大切です。
担当医が私の心を軽くしてくれたように、私もいつか人を安心させられる鍼灸師になりたいと感じました。
がんの告知を受けた直後、勇気を出して参加した美容鍼のフォーラムには、患者さまやお客さまのために学んでいる鍼灸師の先生たちがたくさんいました。その姿を見て、「私もまだやれる!」と思えたのです。
どん底に落ちた気持ちが、少しずつ先のことを考えられるようになりました。
こうして、「やっぱり鍼灸師になる!!!」という気持ちが強くなりました。
私は鍼灸学生時代、集客と施術技術を学ぶために「ハーブピーリング」という施術に出会いました。
和歌山から滋賀まで通い、試験に合格し、施術ができるようになったときには、早くお客様に喜んでいただきたいという気持ちで胸がいっぱいでした。
しかし、初めてのお客様に施術を行った翌日
「顔が赤く腫れてしまった」
という連絡が入りました。
私は「好転反応」だと説明しました。
後にその方が「ハーブアレルギー」であったことが判明したのです。
このとき、自分の知識不足を痛感し、施術を提供することへの責任の重さを改めて感じました。
さらに、「好転反応」という言葉は実は医学的には存在しないことも知りました。
そのお客様は私を責めることなく、むしろ学びの大切さとその必要性を教えてくださいました。
この経験を通じて
「正しい知識を学べる場所」がどれほど重要であるかを実感しました。
また、鍼灸学生が学び、成長できる環境に身を置けることのありがたさも深く感じました。
私が鍼灸院を開業したのは、正直「勢い」だけでした。
専門学校を卒業後、ハーブピーリングに関連するお仕事のお手伝いを通じ、「肌むき革命・セルフハーブピーリング」の立ち上げに関わることになりました。
しかし、立ち上げの責任や「エラー回収(トラブル対応)」の意味を理解できず、何度も注意され、最終的には【戦力外通告】を受けてしまいました。
その後もゼロから学ぶべきところを、44歳のプライドが邪魔をして「勢いで」開業。
周囲にも告知しなかったため、開業当初はお客様もほとんどいませんでした。
技術や知識への不安を抱えたままのスタートでした。
この経験を通じ、開業には知識や技術の準備、そしてそれをしっかり伝える力が必要だと強く感じました。
私が鍼灸師を目指したきっかけは
いつも「学び続けている」鍼灸師の先生の姿でした。
国家試験に合格し、今も鍼灸師でいられるのは、全国の先生方とともに学べる環境があったからこそです。
一人では乗り越えられなかったかもしれません。
一時は、鍼の練習や学びから逃げたくなることもありました。
でも、そんな私が、今では「美容鍼の練習会」で開催数NO.1の実績を持つようになり、仲間とともに学べることのありがたさを日々感じています。
この学びの場に救われた経験から、同じように
「学べる場所」「話せる相手」
を探している方がいるのではないかと思っています。
これまで出会ってきた鍼灸師の先生や学生さん、そしてこれから出会う皆さんと、これからの楽しみなこと・不安や悩みなどもお話しできたら嬉しく思います。